星と私と時々鳥見

わたしの自己探究の旅について。日々感じたこと、考えたこと、星(占星術)のことなどを綴っています。

神さまの遊戯

大いなる源?神さまと私は最初からずっと分離していなかった
私は私と神さまがいて、神さま(他者)の意思に委ね従いたいと思っていた
神さまは外にいて、私に通信してくる
私と神さまは遠くて、私は神さまからの通信を待っている感覚だった
でも、これまで私が読んできたいろんなものには、そもそも私は神さまから分かれてなどいなくて、それどころか要約すると私は神さまの一部だと書かれていた
散々それを読んできても、まだ私の中の分離の感覚には気づいていなかった
それに目を向けることに気づいていなかった

「私は神だ!神そのものだ」と言ったり思ったりするのは、やっぱりおこがましくも傲慢に感じられるものだ
けれど、考えようによっては「私は分離した一個人だ!」と言うのも何だか傲慢な気がしてくる
そして、自分が神そのものだと言わないまでも、「私と神とは同一ではない」というのもまた固定であり、観念だと気づく

私と神さまが一つかどうかはわからない
でも私に無理のない自然の流れを指し示してくれているのが神さまなら、神さまはそんなに遠くにいるわけでもないのかもしれない
私のすぐ近くで抵抗の少ない道を光で照らして見せてくれる誰か(何か)は私専用回線を使ってやってきている神さまで、私が神さまを近くに意識すると、いつも私に話しかけるかのごとくお知らせしてくれていることに気づけるってことなのかもしれない
だって、以前はハイヤーセルフからのお知らせが時々やってくると感じていたけど、最近はいちいちどこかからの通信をキャッチしているのではなくて、自然に流れ込んでくるものにただ従っている感覚だから
実際には流れ込んでくるものの中には、私の観念も混ざっているはず
でもその観念にさえ少しずつ気づかせてもらっている
私に必要な情報がどんどん届いていて、「そこに抵抗があるよ!観念に気づいて」と言われているようだ
私の現実は何も変わっていないようでいて、私の内側の変革は毎日続いている
私はただ何となくやりたいと感じることを、やってもいいかどうかとジャッジすることなく行動する
抵抗を感じたり、心が大きく反応した時は立ち止まって内側を見つめる
そこにある恐れや不安や罪悪感に気づき、感じ切ったりそこにそれ以上力を加えずただそのままにして観察する、それを繰り返している
それによって私の中から不要なものがどんどん浄化されていく
私と神さまの意思が近づいていく
やがては一体になるのかもしれない
そこまでではなくても、私はエゴで何かをやり遂げようとするのと、自然の流れ(神さまの意図)の違いに少しずつ気づけるようになっていく
もう随分それができるようになってきている気がする
もちろん、大半は自動運転だし、そこにエゴの抵抗がいくつも挟まっている
でもそれでよくて、焦らなくても少しずつ順番に、気づかせてもらったことから取り組んでいけばいいだけだ
それも含めて神さまの意図の範疇だと捉えることができ始めている

焦りはエゴの声
でもエゴの声さえも突然私の頭や心に浮かぶ
私が意図して焦りや不安をそこに生み出すことなどできない
だからそれも含めて全部神さまからのお知らせなんだ
「ほら、今なんか嫌な感じがしてるでしょ?そこに抵抗があるよ」って
だから神さまから直接伸びている触角みたいなものは私(の中)に繋がっていて、その先に私という個性みたいなものが色づいているのかも知れない
神さまの指人形の一人遊びみたいなもの?
私の個性は固定じゃないから、神さまが思いついたストーリーに合わせて毎瞬色が変わる
私はそれをリアルに感じ、演じている
何も間違いはないし、正解もない
この世は神さまの遊戯(リーラ)
私はこの世界観が結構好きなんだな